哲学

【哲学者入門】哲学の祖《タレス》の思想 │ 「万物の根源は水である」

哲学の祖と呼ばれるタレスについてまとめてみました。

● B.C.634頃〜546頃

● 哲学の創始者とされている

● 万物の根源を水であると考えた

● 幾何学の功績もある 

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ミレトスのタレスとは何者か?

タレスはアリストテレスによって「哲学の創始者」であるとされました。タレスは古代ギリシアの植民地ミレトスに生まれ、古代ギリシアの七賢者の代表格とされています。ミレトスは現在のトルコ西岸にあたります。

彼自身が書き残した書物はありませんが、その生涯の事績についての記述が残されています。

彼はエジプトやメソポタミア(バビロニア)を訪れ、エジプトで測地学を、バビロニアで天文学を学びました。日食を予言したとも言われています。

また、数学の分野でも貢献しました。彼は測地学をもとに「タレスの定理」と呼ばれる幾何学の定理を証明しました。

「タレスの定理」

(1)直径に対する円周角は直角である

(2)円は直径によって二等分される

(3)二等辺三角形の底角は等しい

(4)互いに交わる二直線の対頂角は等しい

(5)底辺と底角によって三角形は決定する

この数学的な発見がピタゴラスやユークリッドに引き継がれて幾何学が発展しました。上記の定理にはタレス以前に発見されていたものもありますが、それについて論理的に思考し、証明したことは数学における偉大な貢献であるといえます。

 

「万物の根源は水である」

万物の根源は水である」というのがタレスのもっとも有名な言葉だと思います。

ただ、タレス自身の言葉は書物として残っておらず、この言葉も後世のアリストテレスの著作において、タレスがこのように述べたと伝えられているものです。アリストテレスは哲学のはじまりについて次のように述べています。

さて、あのはじめに哲学した人々のうち、その大部分は素材だけの意味での原理だけを、いっさいの存在者の原理であると考えていた。

すなわち、すべての存在者が、そのように存在するのは、それからであり、それらのすべてはそれから生成し、その終末にはそれへと消滅してゆくそれ[中略]をかれらは、いっさいの存在者の構成要素であり、原理であると言っている。

ーーアリストテレス

ここで「原理」とあるのは、ギリシア語で「アルケー」と言います。それは「はじまり」という意味をもち、存在者を存在たらしめているところの根本的な原理を指しているといいます。

タレスはこのような、存在の始まりであり、存在者を存在させるものであり、存在者がそこへと収束するところの原理を「水」であると考えていたということです。

なぜ「水」だったのかについてはアリストテレスも推測を述べていますが、タレスの偉大さは「万物の原理が水である」と語ったことではなく、「万物の原理とは何か?」という問いを発したことにあると言えます。このような存在の原理や原因を探究する問いを発したことをして、哲学のはじまりであると呼ぶのだと思います。

 

神話から原理への飛躍

哲学はギリシア語でフィロソフィアと呼びます。語義は智恵(ソフィア)を愛する(フィロス)ということです。

この言葉はソクラテスに始まると言われていますが、その始原のひとつがタレスに代表されるミレトス学派に求められます。

哲学を第一原理や原因を探究する学問であると定義するならば、「この世界の原理は何か?」という問いによって、哲学がはじまったと言うことができるでしょう。その意味において、タレスは「哲学の祖」とされています。

ギリシア神話においては、宇宙の創成について最初に大地と天空が分離したと語られています。しかし、そのような神話ではなく、私たち人間が考え理解できる答えを導き出そうという働きがタレスのなかにあったのではないでしょうか。

まさに、神話(ミュトス)から原理(アルケー)への飛躍です。

タレスは、かの哲学の始祖であり、水がそれ(アルケー)であると語っている

ーーアリストテレス

「存在者を存在たらしめているもの(原理)は何か?」それを探究し始めたが故に、タレスが最初の哲学者であるといわれるのです。

そして、このように事物の本質的な原理・法則・論理などを探究することが哲学が哲学である所以であり、哲学の基調として現代まで流れているといえます。

以上がタレスについての一般的な記述になります。

 

私的な考察

ここから先は私が個人的に考えた内容です。

タレスは次のような言葉も残しています。

万物は神々に満ち溢れている。

私はこの言葉から次のようなイメージをめぐらせました。

もしかしたらタレスは存在者を構成する要因のみを「水」と考えたのではないだろうか、と。

存在者とは、山川草木、人間を含む生物、無機物、ありとあらゆる知覚できる存在物のことです。私は、タレスはそれら知覚できる存在者の素材としての原理のみを「水」として考えたのかもしれないと思いました。

アルケー(原理)とは、存在自体のエッセンスを指し示す言葉ではなく、存在者を構成する根本素材を示す言葉であった、という可能性はないでしょうか。

その一方、存在者を在らしめている存在自体、つまりは、存在者を生み出し、存在者を存在させ続け、やがて存在者が還っていくところのものである「存在」そのものを原理(アルケー)と呼んだわけではなく、むしろそこには知覚を超越した不可知の力があると捉え、それを「神々」と呼んだのではないでしょうか。

ここでの「神々」とは「存在自体」を指す言葉であり、ありとあらゆる存在者に浸透し、それを存在させているところの真の根本原理を意味しているのではないでしょうか。

だとすれば、「万物の根本は水である」とは、存在者の根本素材を示しただけの発言であり、実際のところタレスは存在者と存在を明晰に識別し、「存在者」と「存在」のそれぞれに探究の眼差しを投げていたとは言えないでしょうか。

つまり、存在者の素材は水であると考え、存在者を存在者たらしめている存在には神々という名称を与えた、ということです。

こう考えると、タレスは存在者や存在を識別してそれらへの問いを立てたという意味において哲学の祖であり、存在者の素材への探究を始めたという意味において自然科学の祖とも呼べるのではないでしょうか。

私の中では、タレスについて、そのような思いがめぐりました。実際にどうだったのかは知る由もありません。

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